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インタビュー

結月美妃の着物読本(1)わたしにとっての着物

着付けを教えたり、着物を販売する仕事を始めて、いつしかそこそこの年月が経って、その間に随分、着物というもの、着物に対する意識や印象といったものが社会の中で変わったなと思います。

しかし、いくら社会が変わっても、ふと自分を振り返ると、わたしの着物への考えは何一つ変わってないと気づきました。

つまり、わたしは着物そのものが好きというよりも、いえ着物そのものは好きですが、それよりも着物を着て美しくなった女性が好きだということです。

モノよりもヒト。ヒトが大事だと思っていて、そのひとが美しくなることが何よりも大事で、着物はその役割を果たすツールだという考えです。

ですから、単にいい着物を仕入れて、それを販売するというだけでは満たされないのです。どんなにいい着物でも、それは着てもらわないと価値はゼロです。箪笥の肥やしになっている着物は、着ないのであればどんなにすばらしい友禅でも意味はありません。着物は着てもらうことで価値が発揮されるものです。だから着付けを教えています。

着物は袖を通されることによって初めて、生命を与えられる、つまりは着るひとの美しい皮膚になるということではないでしょうか。

そして、着物を着ることによって、そのひとがいつもの姿とは見違えるように美しくなる。わたしは着物そのものよりも、美しくなったヒトを愛しています。

そのためいい加減な着物では駄目で、おかしな着付けではいけないという発想になるわけです。

着物と一口に言っても、いろいろな種類があり、例えば振袖、訪問着、附下、小紋などです。そして、正絹の京友禅、加賀友禅、さらに正絹でも紬もあれば、綿の着物もある。夏だと麻もあります。

しかし、わたしが扱うものは着物だと京都の染物だけで、帯は西陣です。紬や綿は基本的に扱いません。

それはなぜかというと、わたしにとっての「美しい」は京都の着物であって、それも後染めのものなのです。ですから、同じ着物でも紬はとりわけ美しいと思わないし、興味がありません。

紬を着るひとを否定しているのではなく、わたし個人としての価値観ですね。「うどんよりおそば」という程度のことかもしれません。

ただ、着物には「ハレとケ」があって、紬は日常のケの着物ですから、そういう意味では、ハレの着物がわたしの方向性です。

京友禅という技法、そしてその色彩。柄は古典柄。さらに色無地でしょうか。

そんな京都の着物と帯で女性を美しくしたい。そういう女性が増えればどんなに街が素敵になるだろうと思いながら仕事をしています。

「着物を着たい」という気持ちが、着物を着て驚くほど美しくなったという事実を作りたい。

ただ着るだけではつまらないものです。着物を着ることで、明らかに今までとは違う自分に、それも美的にレベルアップするように導くのがわたしの着物への変わらぬ考え方です。