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インタビュー

結月美妃の着物読本(3)着物はあなたを丸裸にする

着物は不思議なもので、着るひとの内面、生活水準、教養の具合、育ち、生い立ち、そういったものすべてをあからさまにしてしまいます。

「馬子にも衣装」という言葉がありますが、着物はそうはいきません。中身がないひとに極上の友禅を着せたところで、むしろ着物のほうが勝ってしまって、着るひとをみっともなく見せるものです。

着付け師にいくらきれいに着せてもらっても、その浮かれた表情でこれまた芯のない女に見えてしまって、自分で着付けもできないことを余計に露呈することになります。

自分で着付けができないと、そのひとには着物を着た過去もない、着ているであろう未来もない、つまりその時間的な前後がないことがばれてしまいます。着物を着ている歴史がないものだから、未来にもそれはつながらず、ただ今着ているだけのインスタントな姿に見えるのです。

日頃の立ち居振る舞いが悪いと、その悪い動きが着物だと袖や裾で増幅されてしまって、洋服よりも目立ちます。

着物は姿勢の悪さを如実に表し、歩き方、座り方、動作のすべてがそのひとが普段どのように過ごしているかを暴いてしまうのです。

そして、どういう着物を選ぶかもそのひとをさらけ出してしまう。

安いからと言って、リサイクルの古着を着ていると、その着物の寸法が体に合っていなかったり、着物の柄やデザインが今の時代に合っていないとおかしく見えてしまいます。

そのおかしさはわかるひとにはすぐにわかるもので、古着を着ているとどうしても貧乏そうに見えてしまうのです。

しかし、一張羅でもいいから、きちんとしたものを自分の体に合わせて仕立てていると、貧相に見ることはないし、着物というのは人様の前に出るものだから、あまりみっともないものはいけないという意識があるひとだと感じてもらえます。

安く済ませるという経済感覚と少々値が張ってもちゃんとしたものひとつだけでもと考える違いはとても大きなものです。

また色彩感覚も需要で、どういう季節に、どのような場所でといったことを考慮し、着物を選べるといいものです。色彩感覚が鈍かったり、この着物しかないからいいやと思って、不似合いな色の着物を着ていると、なんともいい加減さが漂ってしまってガッカリさせられます。

つまり、どこまで自分のことをちゃんと考えられて、TPOも踏まえ、他者に自分をどう見せるかを意識できるかです。それができるかできないかで、印象が随分違うものです。

ですから、着物は洋服以上に自分の内面、それは自分で気づいていないものも含めて他人に知られることになりますから、最低限はきちんとしたほうがいいわけです。どんな着物を着るか、どう着こなすかで放出される情報量はかなりのものです。

「着るものだから、自分の好きでいいでしょ!」という方は多くいますが、それはそれで結構です。

ただ、そうした自分の勝手での着物姿は、美しいものにはなりません。美しさには客観性が必要だからです。

客観性を踏まえた上で、自分の個性を美しく演出する。その意識があるかないかは、雲泥の差をもたらします。

逆に言えば、着物をしっかりと美しくこなせるひとは、洋服を着てもきれいなものです。

あとは普段着ないからと言って、結婚式に招かれてレンタルで済ますひとと、着物をしっかりと誂えて出向くひとでは大きく違います。

これも自分中心であるか、着物を着る行為は他者に対しての礼儀だと考えられているのか、それも差として出てくるものです。

着物はこれだけ着るひとの内面をすべてさらけ出すものなので、考えようによっては着物さえきっちりと着こなせれば、自分を高めることができ、周囲からの扱いも明らかに変わってきます。

着物は自分で着るものではあるけれど、ひとに見せるものであることを意識するといいです。

そうすれば驚くほど美しくなりますから。